フェチ、言葉、「わたし」

哲学を学ぶ男子大学生が「わたし」、言葉、フェティシズムなどについて考えます。

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「男らしい」人、好き?

男らしい人、かっこいいですよね!

 

歴史上の人物なら西郷隆盛武田信玄(イメージ)、現在の人なら吉川晃司さんやTOKIOの長瀬さん、二次元だとONE PIECEの白ひげやSLAM DUNKの赤木キャプテンでしょうか?

 

こういう人たちって、どういう面が「男らしい」と言われるのでしょう。

つまり、「男らしい」とはどういう性質のことを言うのでしょうか。

 

「男らしい」の使われ方に注目して、明らかにしてみたいと思います!

 

「男らしい」の類義語としては、「リーダーシップがある」、「甲斐性がある」などがあげられると思います。

「猛々しい」とか「益荒雄」なんていうのもありました。

 

kotobank.jp

 

いくつか要素をあげてみたいと思います。

 

精神面

・とにかく、何かを決めることができる。うじうじ悩んだりしない。

・人に支えられるのではなく、逆に人を支えてあげることができる。

・細かいことは気にしない。豪胆である。

 

肉体面

・筋肉がすごい。側から見るとかたそう。角ばっている。

・髪の毛は短いけど、体の毛はこい。

・スキンケアやメイクをしない。

 

こんなところでしょうか? 要素の拾い方が乱暴すぎる!って論争になりそうだ……。

 

ともかく、以上のような要素をまとめて「男らしい」と言っているのです。

 

 

「男らしい」ことには、いい面がたくさんあります。

 

まず、決断力があるひとは魅力的ですよね。

決断すると、ものごとが動いて前に進みます。自分の力でものごとが動いていくことって、結構怖いことだと思います。

それに、決める人は結果に責任を持たなくてはいけません。

たとえ自分の予期しなかったことが起きて結果が悪い方へ転がっても、「わたしの決めたことですので。」と言って責任をとらなくてはいけないのです(その代わり、良い結果が出ると後世まで語り継がれ、英雄になることができます)。

このようなことを我が身に背負う覚悟があること、これはとても素晴らしいことです。

 

次に、今言ったことと関係していますが、決断するということは回りを支えるということにもなりますよね。

「わたしが決めたことだから、責任はわたしが取る。このグループのみんなは、失敗を恐れることなくやってほしい。」という一言は、グループのメンバーをどんなにか安心させることでしょう。

カップルだったら、「君のことはぼくが守るから、大丈夫だよ。」という言葉になるのかもしれません。

 

加えて、決断する、回りを支えるということは、細かいことを気にしないということに繋がってきます。

たとえば決断するときに「でもこっちを選んであれこれのことが起こってとんでもないことになったらどうしよう。」と思っていたら、決断できません。

結果が失敗に終わった時に、犯人探しをしたり原因探しに明け暮れていたりすれば、責任を取ることはできません(原因探しは別のかたちできちんとやらないといけないですけどね!)。

多少のことなら気にせず受け流す、あるいは受け入れる。そして出た結果の責任を何はともあれ引き受ける。このような「男らしさ」は、細かいことを気にしないことには不可能なことでしょう。

 

 

言葉の使われ方とかを気にしている時点で男らしくないということになるのかもしれません!(泣

 

 

肉体的にも、「男らしい」魅力というのはありますね。

ぼくはまったくのストレートですが、男性の肉体美にも惹かれることは少なくないです。

最近は、毛が多いのはむしろ「不潔」として嫌われる傾向にありますけどね。ぼくも体中の毛を剃り尽くしたいです!!

 

 

 

と、見てきたところで、次は「男らしい」ことの悪い面を見ていきたいと思います。

実は、こっちが本題だったり……。

 

「男らしい」ということは、はっきり言うと「ガサツだ」ということでもあると思います。

 

「決断する」ということは、色々な選択肢がある中から「これ!」と決めることですよね。

他の選択肢たちからすると「捨てられた」「無視された」ということになります。

これは別に悪いことではないです。

決断することは常に捨てること、無視することとコインの裏表なのです。

実際、「あれもこれも」とあらゆることを考慮すると決断を下すことができません。

 

政治的決定ではしばしば「どの人たちを救って、どの人たちを無視するか」の選択になります。

この時、無視された側の人たちは当然怒りますが、これは仕方のないことだと言えます(だからといって、無視し続けていいわけではないですけどね!)。

 

「決断する」ことのデメリットは、「細かいことを気にしない」ことにも現れてきます。

相手やグループのことをグイグイ引っ張っていくためには、「これって相手はどう思うかな?」、「こういう決定をするとこういう悪いことが起きそうだな……」というような「細かいこと」は気にしていられません。

この時重要なことは、決断する時に無視される「細かいこと」は、本人にとってはまったく「細かいこと」ではないということです。

 

カップルが喧嘩をする原因は、相手にとって「細かいこと」ではない事情を、決断するために「細かいこと」にしてしまうという点にあると思います。

だから、あとでしっかりと気持ちのケアをしないと、相手は気持ちをないがしろにしてしまったと思うし、自分は「なんでそんな「細かいこと」を気にするんだ!」と苛立ってしまうことになるのだと思います。

 

 

今の政治の難しさもここに深い根っこがあるとぼくは思います。

今は、一人一人の価値観を傷つけないことが求められる時代です。

同じ同性愛者でもいろんなグラデーションがある。同じ富裕層でもいろんなグラデーションがある。同じ国民でもいろんなグラデーションがある。……

でも政治的決定では、上に書いたように「決断する」ために「細かいこと」を切り捨てなければなりません。

決断することと多様性は、非常に相性が悪いものなのでしょう。

 

 

「男らしい」人は確かにかっこいい。

フェミニズムが大きく台頭した現代でも、多くの女性は「男らしい」人が好きだし、男性の憧れも「男らしい」人に集まりがちです。

でも、「男らしい」という言葉・性質は、取扱注意なのかもしれません。

 

「男らしい」人、好きですか?