フェチ、言葉、「わたし」

哲学を学ぶ男子大学生が「わたし」、言葉、フェティシズムなどについて考えます。

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「言霊」って多分こういうこと

期末レポートやテストを始末しなければならず、週末ですがせっせとレポートを書いているぼくです。

 

今日書いたのは倫理学のレポート。皆さんはふだん、倫理について考えますか? ぼくは「正しいこととは何か」ということが気になって仕方ありません。気がつくと、倫理について考えてしまっています。

 

ですが、記事は倫理学とは関係ないです。

 

「言霊」ってありますよね。言った通りになってしまうというあれです。

暗い言葉を使うと言霊で本当にそうなってしまうから、逆につらいときも明るい言葉を使おう!みたいな言説もよくあります。

 

偏屈だった中学、高校時代、ぼくは言霊なんて言われても「出た出た

笑」と思ってまともに取り合っていませんでした。

言霊なんて、あり得ないじゃん! 空を飛ぶ羽が生える!って言ったら、羽が生えるのかよ!!みたいな。

 

でも少しずつ考えていくうちに、そんなに無下にすることもないのかな?と思うようになりました。

 

昨日の記事(流動する「わたし」)で、自己紹介っていうのは変わり続けて捉えようのない「わたし」というものを、無理に言葉で捉えようとするものなんじゃないの?という考察をしました。

 

でも、自己紹介って実際にやっているわけですよね。じゃあそのとき実際には何をやっていることになるんでしょうか?

これを考えることが、「言霊」の考え方を明らかにしていく手がかりになるんじゃないでしょうか。

 

発想を転換してみます。「わたし」と言える何かがあって、それを言葉にのせて外の世界に広げていく。

「わたし」 → 言葉 の構図。

 

そうではなくて、まず「わたし」がどんな人間であるのか、あるいはどんな人間でありたいのかということを言葉で決めてしまって、それに「わたし」と言える何かを合わせていく。

言葉 → 「わたし」 の構図。

 

自己紹介って実はこういうことをしているのではないでしょうか?

(もっと言えば、自己紹介に限らず、世界を言葉で表すいとなみは実はこのような構図なのではないでしょうか?)

こういう考え方を「言語論的転回」と言って……というのは置いておき。

 

イメージとしては、クッキーの型抜きです。生地は同じでのっぺらぼうなんだけど、どういうかたちの型で抜くかによってクッキーのかたちが変わってきますよね。

この時の型が、言葉です。

 

 

さて、こういう風にして 言葉 → 「わたし」 の構図であることが、どのように言霊と関係してくるでしょうか?

 

言霊というのは、「自分の発した言葉の通りになる」ことだと述べました。

そう、言霊というのは、

 

「わたしは○○だ。」と思い、言葉にしてしまうことで、本当に「わたし」の性質がそうなっていってしまうこと。

 

このことを指しているのではないでしょうか?

 

 

こう考えると、ぼくたちは「わたし」を表す言葉を取り扱う時に、気をつけなければいけないということがわかってきます。

 

もちろん「わたしには翼が生えていて、自由に空を飛び回ることができる。」とか、「この時期にさく椿の花は綺麗な紅色をしている。」というようなことは、試してみればおかしいかどうかわかります。

 

 

でも、「わたしがどんな人間か」を、試してみるなんてことができるんでしょうか?

 

例えば「わたしが内向的な人間かどうか」試してみる。

とりあえず直近で開催される飲み会に行く。

もちろん、親しげに話すことのできる相手もいれば、そうでない相手もいる。グループで話すのは苦手だけれど、飲み会の途中のイベントが嫌なわけでもない……なんちゃらかんちゃら。

 

このことから、「わたしが内向的な人間かどうか」を決めることができるでしょうか。

確かにAさんよりは話すのが得意じゃない気もするけど、Bさんほどじゃない。でもAさんはこの間自分で「ぼくは人と話すのは得意じゃないんだ。」とも言っていたし……。そもそも、飲み会で話せるというのが「社交的」ということなんだろうか?

 

「わたしが内向的かどうか」を決めるのはとても難しそうじゃないですか?

 

 

「内向的」というのは、とても抽象的な言葉です。だから、目で見たり耳で聞いたりして正解とか間違いとかを決めることはできません。

 

強いて言えば、「わたしがこう思ったからこうだ。」と決めることはできるのかもしれません。でも、その結論には根拠がないのではないでしょうか。

 

 

長々と語ってきましたが、言いたいことはこうです。

 

実験することもできないのに、「わたしはこういう人間だ」と言葉にしてしまうと、その言葉に引っ張られていってしまう。

 

これこそ、ぼくたちが世間で耳にする「言霊」のことではないでしょうか。

言霊の定義通り、「自分の発した言葉が本当になってしまって」います。

 

もっと強い言葉を使うと、言霊は「呪い」だ、とも言えるでしょう。

ぼくの尊敬する先輩がおっしゃっていました。

 

「自分の言葉は自分に跳ね返ってくる。言葉は呪いだよ。それに気づいてから、出来るだけ自分をくさすようなことを表に出すことはやめた。」

 

 

皆さんも、自分に「呪い」をかけてしまっていないでしょうか?

「それって実験して試してみたことなの?」という心の声を、自分に常にかけてあげるようにしてみるのも、いいかもしれません。